レクイエムって結局…
音楽の知識に付いては、ジャンルを問わず調律師としての職業がら、広く浅く上澄みのみを認識していれば問題ないものであると若い時分は考えていた。
最近、作曲家の方に機会が有って、以前から抱いている疑問を聞いてみた…
それは、モーツァルトでも、フォーレでもベルディーでもレクイエムを作曲しているが、レクイエムなんぞ私のような素人の認識では、日本で言う仏教のお経の様な物と今迄勝手に理解していたので、レクイエムごときにカラヤンなんて名指揮者が、いちいち、モーツァルトのレクイエムをわざわざ指揮する必要があるのか?又、お経ならば曲は指揮者が居なくても、オーケストラのコンサートマスターが最初の出だしだけ合図すれば、曲は勝手に粛々と進行し厳かな中で終曲するのではないですか?と…
その時の話では、レクイエムは、仏教のお経とはまるで性質が違うのだと仰っておりました。
例えば、ベルディのレクイエムなんぞは、パフォーマンス性の高い曲なんだそうで、指揮者の演奏の個性が最も出しやすいのが、レクイエムなんだそうです。
お経は、同じお経でも高僧が称えればありがたみがより増すが、レクイエムは、指揮者の音楽性遺憾でより多くの魂に安らぎを与えられるらしい。
私もそれを聞いて、そう思った。
同時に…レクイエムって民主主義じゃねーの?
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