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ある調律師の生き方

花曇りです。東京のお花見は肌寒そうですね。

 

半年前に図書館で『半年働く。』というタイトルが目に飛び込んで、パラパラと中身に目を通してみました。半年働き、あとの半年は海外に行く。というような内容だったかと思います。

 

今の時代は働き方に変化が起きているようです。

 

半年働き半年は海外…。

そんな働き方が珍しかった20数年も前の時代に、それをやっていた調律師がいました。

半年嘱託調律の仕事し、その収入で半年タイやインドを放浪。まさに自由人でした。

 

その人を周りの人達は変人と言っていました。特に同じ職種であり、常識的な古い価値観を持っていた調律部長からすると、「調律師の風上にも置けない奴」でした。

 

人懐くて私には話しやすかったのか、日本舞踊の姿でカレンダー作りたい⁉などと突拍子もないことを、頭にバンダナ巻いて作業服来たオッサンが言うのですから、変人、さもありなんかも?でしたが。

 

でも、優しい人でした。心臓を患ってらしたお母さんをいつも心配していました。長女の初めてのピアノ発表会の曲をみんなに相談していたのですが、発表会当日フラッと現れて、子どもの演奏聴いてくれました。

 

ある日、源泉のことを上司に訊ね運命が一変しました。上司は体調が悪かったせいなのか、面倒くさかったのか、知らなかったのでしょう。まともに取り合わず、何度も訊く彼にいらつき、最後怒鳴り散らしました。

 

そして、彼は何も言わず去って行きました。

それ以来会うことはありませんでした。

間に入っていればと悔やみましたがあとの祭り。

 

「彼の生き方他の人が気に入らなかったからね、辞めてもらった」と、後日上司が言い訳のようなことを話していましたが、聞きたくもなかった。

 

その何年か後、調律部長の不手際で他の調律師が奔走したり、度重なる事故等で上司が何度も泣かされることになるとは、まったく皮肉なことでした。

 

彼が弾くショパンの『エオリアンハープ』をピアノの先生が、

「あたしより上手いんだからいやになっちゃう」…。

そんなことが時たま思い出されます。

 

どうしているのかな。タイのチャオプラヤー川の辺りで、プーケット辺りで、元気に暮らしていたらいいけれど・・・。

「楽しい今、みじめな老後」が口ぐせだったっけ。